棚卸
人生の棚卸。
今まで、幾度となく、心の底に湧き起っていたもやもや感、焦燥感。
自分はこのままでいいのか。5年後の自分は?10年後の自分は?
今、時間を浪費していないか?
何を考えて生きている?自分にとって大事なものは?
優先順位の高いものは?将来、どうありたいの?
目指している姿は?
…。
こういうことを考えるのを煩わしく思い、敢えて直視せず、目の前のことに集中して生きてきた。
或いは、何も考えずに生きてきた。
よく言えば、今日を大事に生きてきた。
いや、そんなにカッコいいものじゃない。
いろんなことを言い訳にして、そういうことから目をそらして生きてきた。
とりあえず目の前の問題に対処し、楽しさを享受して。
それで良かったのか?
意識の高い同年代の人や、年下の人を見ると考えさせられる。
こういうことに疑問をもつということは、自分は何かを成し遂げたい欲求があるのか。
現在の自分を冷静に見つめ直し、これまでの人生を棚卸したい。
何か見えるかもしれないから。
反省
お客様から非常に厳しい叱責を頂いた。
弊社の工事担当の対応が悪く、また、企業としての姿勢を疑われるような失態を見せてしまった。
御怒りは大変ごもっとも。多少の愚痴は言いたいものの、お客様に反論できる余地はほとんど無かった。
営業の立場としては、現場打ち合わせで引き継いだ以上、それ以降は工事対工事の話なので、こちらに振られても、という気持ちもあったが、これは弊社の社内的な体制の事情であり、お客様から見れば、窓口は営業である私であるし、文句をいう先も私である。実際、協力業者に似たようなことをされたら、私だって営業担当に文句を言う。
ほぼ全面的に当方に非が有り、まったく反論できなかったのが悔しい。そんな状態に気が付かなかった自分の放置ぶりも今更ながら悔やまれる。忙しかったとはいえ、もう少し気にしても良かったか。でも、工事担当者のテンパりぶりはその時は分らなかった。物件を抱え、そんなに追いつめられているとは知らなかった。声をかけても大丈夫です大丈夫ですとしか言わないものだから。
以前注意されたことがあるが、任せた後も多少は気にするべきだった。よく言えば工事部を全面的に信じて任せていたのだが、丸投げのそしりを受けても弁解できない。分業制を敷いている以上、こちらに非は無いとは思うのだが。工事部の責任者の放置ぶりが恨めしい。
愚痴を言っても仕方が無い。営業から異動する直前に、自身の営業姿勢の問題点を突き付けられてしまった。上司は、お前は間違っていないとは言ってくれたものの、動けることがあったのではと、悔やまれる。
これに尽きるか。
頭を垂れよ
S部長から、老婆心から出たアドバイス
まだまだ、膝を曲げる気持ちが足りない。
まだまだ、一歩引く気持ちが足りない。
ムッとなっても、カッとなっても、一息置く余裕が足りない。
お客さんと無用なトラブルを起こしていないか。
社長を無用に怒らせていないか。
部長の目から見て、まだまだ謙虚さが足りない、と。
設計への異動を命ぜられた。
一つには大チョンボして異動が決まったS課長の穴埋め及び、設計部門の再構築のため。
もう一つには、4年間やった営業の成果が芳しくなかったため。設計のポストが空いたとき、営業職と比較してお前には設計が良いと考えた、と言われた。
期待に応えられるかどうかは分からないが、営業に異動したときのように、がむしゃらに頑張ろうと思う。
継続せよ
いろいろ考えたのに、
結局仕事にぼわれて、1日15分は考えようってのが続けれてない。
まぁ良い。毎日にこだわらない。
今までより振り返りと考察を繰り返す頻度を増やそう。
異動
どうやら来期は設計・開発へ異動となるようだ。
営業成績が芳しくなかったからか、或いは設計から1人抜けることへの補充のためか。同僚のM氏の仕事を引き継ぐことになりそうだが、4年も掛かって商品化できていない開発品は私の代で切り捨ててもいいだろうか。
あれはもう、ダメだと思うから。
ニーズに応えられないし、費用対効果も低い。それどころか周辺機器へのデメリットの方が大きい。勇気を出して引導を渡すか。
ところで私のお客さんは、誰が引き継ぐのだろうか。
なるべく早く周知し、紹介して回りたいのだが。
出世
出世にガツガツすることを良しとしてなかった。
今思うと、青臭い考えだったか。
元々競争は苦手。人と争うのも苦手。
しかし、仕事や能力については正当に評価して欲しいとも思う。
であるならば。
高い肩書は能力や会社への貢献度、実力などいろんなものを表す指標と捉えれば、出世は決して悪いものではない。
むしろ何か大きなことをやりたければ、出世=組織内での力も必要。
今頃、こんなことに気が付いた。
いつも上を見ていた他の同僚達はそういうことに早くから気が付いていたんだな。俺、遅すぎ、のんびりしすぎ。