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嫁から聞いた話。
昨日は保護者会があり、次男坊の障害児学級での会にも参加したとのこと。そこで他の親御さんから聞いた話。その人には5年生の長男と障害児学級に通う1年生の長女がいるのだが、長男も実はADHDであったのに定員に入れず普通学級に通っているそうだ。当然、サポートなしには過ごせるわけが無く、毎日そのお母さんかヘルパーが授業に付き添っている。そのお母さん、今日の保護者面談で、担任の先生から「お宅のお子さんのおかげでストレスが溜まっている」と言われたそうだ。ADHDの子のサポートは適切な対処法を知らずには非常に困難であり、それだからこそ今日までの5年間、毎日お母さんかヘルパーがついてその子がクラスで上手くやっていけるように、他の子に迷惑にならないように、授業の妨げにならないように出来る限りにサポートをしてきた。5年間毎日なのだから、お母さんの苦労は計り知れない。聞けば、5年のうち4年間は昼も食べずに面倒を見て居たそうな(1年は心優しい担任により、一緒に給食を食べさせてもらえたそうだ)。そんな、出来る限りのことをしてきたお母さんに対して、この担任の無情な一言。いや、先生だって大変なのは分かるのだ。実の親ですら対処の大変なADHDの子である。他の子の面倒も見なければならない先生ともなれば、別の大変さがあったのは容易に想像できる。しかし、だ。それをお母さんにぶつけて何になるであろう?矛先を向ける方向が違うのではないか?本当だったらその子だって障害児学級に入れたかったのであるが、定員の都合であぶれてしまったのだ。そのお母さん、内心、非常に傷つき、悔しかったそうだが、日頃の迷惑も分かっているのでその場は何も反論せず、ただご迷惑おかけしておりますと頭を下げたそうだ。そんな話を涙を堪えながら、障害児学級の親の集まりで語ってくれたらしい。
弱者が更に弱者を叩いている。どこでも良く見られるけど嫌な現実だ。この手の話は、うちの小学校でも枚挙に暇が無い。温かい目を向けてくれる人や、励ましてくれる人、理解を示してくれる人もいるが、大多数は汚いものでも見るような視線だけでなく、無遠慮・無理解・無神経な言葉を投げ付けてくる。嫁も1学期の時は嫌でもそういう言葉が耳に入り、悔しさに涙していたこともあった。夫婦共々、その理不尽な言葉に、坊たちの将来を思い悩んで眠れ無い時期があった。
我が子を通して、この社会が実に弱者に対して冷たいことに気付かされた。
権利は、周囲に合意も得つつ、勝ち取らなければいけないのだろうな。坊たちの将来が、今の時点で平坦でないことを自覚させられるのは正直気が滅入るが、泣き言を言っている場合でもない。頑張らねば。