どうも巷で自殺が流行しているようだ。大人の自殺は、その背後の深い事情を察してしまい、仕方がなかったのかなとも考えてしまうのであるが。しかし、子どもの自殺は実に不幸だ。いじめが原因とのことなのだが、報道されている内容を見ると、そんなに追い詰められるようないじめだったのだろうかと疑問に思う。私の世代が小中学校の時でも同等かそれ以上のいじめがあったし、恥ずかしながら私自身ひどくいじめられたことがある。では他に、今と昔で違うことがあるかなと考えてみたのだが、どうも今の子どもたちは非常に世界が狭いというか閉鎖的なのではないだろうか。うちの坊たちを見ていても思うのだが、彼らは同じクラスの特定の子たち、同じ塾の子ぐらいとしか話をしない。先生と親族以外の大人とはほとんど口をきかない。話しかけても、道端のお地蔵さんから話しかけられたかのようにポカーンとされてしまう。
そんな狭い世界というか社会に生きている彼らが、その社会からつまはじきにされたらどうなるのか。絶望するのである。ちょっと他に目を向ければ自分の知らない世界・社会はいっくらでも転がっているのにである。報道されている自殺した子どもたちもどうも社会が狭かったのではないか。よく地域との繋がりが希薄なのが原因だ、大人のほうから声をかけていくべきだという話を聞くが、本当にそう思う。さらに言うなら大人から子どもへの声かけだけでなく、大人同士の声かけを最優先すべきだと思う。大人同士が無関心なのに、どうして子どもが他所の大人に関心を持てようか?まずは、親が自分の地域での社会を広げ、それを子どもに紹介してやり、社会を広げてやるのが遠回りだが一番いい方法なのではないか、と思った。

話はちょっと反れるが、福岡の中学生が自殺した件。確かにとんでもない教師や性質の悪いクラスメイトのせいだといえるが、報道が確かなら男の子の母親にも問題があると、同じ親として思う。エロサイトを覗いていたことを学校の先生に相談したとのことだが、とんでもないことである。そんなことぐらい何故家庭内で対処しなかったのか?エロサイト覗きなんか、私の世代で言えば深夜に勇気を出して自販機で買ったビニ本をこっそり見るようなものである。思春期の少年としては極めて健全だが、人には知られたくない行動でもある。知ったのが親までなら良かったのにその親が先生にばらしてしまうのだからどうしようもない。少年は親に相談できなかったのではなくてしたくなかったのではないか、信用できなくなっていたのではないか。仮に幸いにしていじめの標的にされなかったとしても、この件は十分グれる(表現古いか?)原因になる。
我が子をいじめによる自殺で失ったのは非常に気の毒なことだし、その心中は察するに余りあるが、そもそものきっかけを考えた時、ご両親の取った行動は不適切であったと考えざるをえない。