午前中慌しく準備をし、早めの昼食を済ませ、家族総出でノアに乗り込み兄を迎えに行った。坊たちは、長男坊は葬式をある程度理解しているので神妙そうにしていたが、次男坊は礼服を着たことで結婚式にでも行くつもりでいたようである。兄を助手席に乗せ、一路親父の実家へ。今日の天気は荒れ模様であり、中央高速を走りながら何度かハンドルを取られかけた。
飯田市についてから、一旦ホテルに立ち寄って親父たちと合流し、部屋で礼服に着替えた。実家への親族の集合時間は16時だったが、坊たちの着替えに手間取ったのと、気温が氷点下まで下がったために山道で慎重な運転をしたために15分ほど遅れてしまった。会場では既に何人か親戚が集まってきており、個人を偲んでの座談をしていた。あまり重々しい雰囲気は無く、むしろほのぼのとした雰囲気だった。
喪主である叔父さんに顔を見てやってくれと言われ、祖母の遺体が寝かされている寝室に行った。腐敗防止のためにふとんの下にドライアイスが詰められているせいか、祖母の周囲だけ異常に寒い。白い布をめくると、私も直接見るのは初めてなのだが祖母の死に顔があった。まるで眠っているだけのように見える。触ってやってくれというので額を触ってみた。冷やしているのでひんやりと冷たかったが、冷えたおでこといった感触だった。先々月だったかにまだ元気な時の祖母を見ていたので、本人の遺体とこうして対面していることに、なんとも形容しがたい無常感というか喪失感がこみ上げて来た。哀しい、というのとはちょっと違ったのだが。
その後、時間が来たので祖母の遺体を寝室から通夜の部屋に大人6人がかりで運んだ。私は、日頃疎遠だったことのせめてもの侘びというか、積極的にこういうことを手伝おうと思い、祖母の頭のほうを引き受けた。狭い廊下を運んだので誤って落としてしまわないよう、慎重に運んだ。老婆の遺体でも死後硬直が解けているからか重たかった。
遺体を祭壇の前に安置し、そこへお坊さんが到着し、通夜が始まった。親父の実家のある村落は曹洞宗と聞いていたが、今回は同じ禅宗臨済宗で行なうとのこと。数珠を左手に持ち、回されてきた香炉で焼香を2回行い冥福を祈った。一通り読経を済ませた後、祖母を納棺した。手甲や足甲を巻いたり、六文銭を首にかけたり。首にかける作業の時は積極的に頭を持ち上げたりした。たまたま座っていた場所の関係で、長男坊も子供なりで手伝ってくれた。その後、全員に白黒のツートンカラーの水引が配られ、それを左肩に片たすきをかけるようにしてかけ、祖母の好物や菊の花を詰める作業を皆で行なった。花は菊の花だけでなく、他の艶やかな花を入れた。利き手に杖を持たせ、わらじを足元に入れ、傘も頭上に入れ、最後に全員の水引をちぎって足元に入れた。ここで一応通夜は終わり、宴となった。
坊たちは、従妹が連れてきていた子供たちと遊んでいた。嫁はそこで保母さん役。大事な役である。
一通り、故人を偲んで雑談した後、親戚も明日の出棺が早いので一組、また一組と帰っていき、最後には祖母の兄弟と親父たちだけ宴席に残った。ずいぶん話が盛り上がっており、どうもものつくりについて熱く語っていたようだったのだが、捕まってしまった兄を見るにどうも面倒なことに巻き込まれた感じだったので、子供の相手をして逃げた。親父たちはかなり飲んでいた。
そろそろいい時間になったので、議論を無理やり終わらせ、ホテルに帰ることに。親父は酔って木魚をポクポク鳴らしたり鈴をチンチンチンチン鳴らしていた。そんな親父を何とか車に乗せ、嫁の運転でホテルへ。明日は早いので急いで温泉につかり、そのまますぐ寝た。