お葬式〜火葬〜3日法要
結構呑んだのに、朝早く目が覚めた。無論、頭は痛かったが、今日はこらえなければいけない。嫁に確認したら、浄土真宗の葬式でも楽器を打ち鳴らすそうで、R君が耐えられるかどうか心配になった。実際、葬儀が始まるときにR君は楽器が鳴るのが嫌だと断固出席を拒絶していた。しかし、おばあちゃんが天国から観てるよ、恥ずかしいよと根気よく説得したら渋々席に着いてくれた。幸い、今回の葬式での楽器は親父の実家での葬式に比べれば遙かに小さかったため、R君も平気な顔をして座っていられた。ヘッドフォンまで用意してはめていたが、途中から外してしまっていた。
葬儀はつつがなく進んだが、最後の棺を見送るところで司会者が鼻につくようなお涙頂戴の話をしていたとき、義弟が涙を拭いているのが見えた。平気そうな顔をしていたが、いろいろと思いの深さがあるのだろう。嫁もよく泣いていたが。私も、最後に坊たちが貰った早すぎるお年玉のことを思い出し、目頭が熱くなった。
葬儀の後はすぐに火葬場への移動になり、バスからあぶれた私とJ君はノアで別行動して現地へ向かった。火葬場は小高い丘の(山?)の上にあり、自分たちの街を見渡せるところであった。義祖母に最後の別れを告げ、その間待合室で軽く食事をした。麦酒が出てしまったので、帰りは嫁が運転することに。
火葬が終わった知らせが入り、拾骨室に行くと、火葬の済んだ義祖母が運ばれてきた。私の父方の祖母もそうだったが、女性の骨はあまり原型を留めない傾向にあるように思う。R君もおっかなびっくり見ていたが、最後には義父と一緒に骨を拾っていた。R君は今回のことでずいぶん成長したと思う。こういう場でちゃんと式の終わりまで我慢でき、また一番苦手と思われた拾骨も無事に済ませることが出来た。逆に心配したのがJ君。義祖母の骨を見て「やっぱり焼けると骨と骨をつなぎ止めている組織も燃え尽きるからバラバラになるんだね」とその場で言っていたのだ。冷静に観察するのは良いが、それをこの場で言うのは如何なものか。
拾骨後はもう一度葬祭場に戻って3日法要をし、参列者と親戚一同で精進落としを頂いた。ただし、火葬場での食事が多かったのと、それからほとんど時間が経過していなかったのとで、皆ほとんど手をつけなかった。夕方頃には皆帰り始め、後には初日にいたメンバーが残った。用意しておいた飲み物や食料がかなり余ったが、それらはすべて義祖母と同居していた家族が持ち帰った。まだまだ49日まではいろいろな人が訪ねてくるだろうから、あれだけ余った物でも足りないぐらいだろう。
今日、家に帰る予定だったが、心も体も疲れてしまったので、義父母に甘えてもう一泊させてもらった。
今日の葬式では、残された義祖父の様子が印象的だった。絞り出すような、か細い声で参列者にお礼の挨拶をしていたが、全体がとても小さく縮んでしまったように見えた。仲の良い夫婦だったと聞いているので、とても気の毒に感じた。次に挨拶に行ったときには元気になっていればと思うのだが、あの様子だと難しいかもしれないとも思った。