祭りの後

気がつくと会社の人ともはぐれてしまっていた。一人テクテクと歩いていると、通りすがりの参拝者から何回か「儺追キレをください」と声をかけられたので、落として泥だらけになったキレの泥をはたいて、引き裂いて渡してあげた。とても喜ばれたので、これが裸男の役得かと感じた。声をかけて来るのは若い女性が多い。ちょっと照れた。
儺追神事では危険だというのでメガネを外していた。よって、夜の暗がりでは風景もよく見えない。屋台の並ぶ辺りでは辛うじて歩いていけたが、踏切を越えてS部長の自宅までの道のりは本当に分からなくなっていた。真っ暗な寒い農道を褌姿でペタリペタリと歩くのはとても心細く、人通りも極端に少ないために道を尋ねることも出来なかった。幸い、途中で同僚に遭遇できたので無事生還できたのだが、あのまま迷っていたら本当にヤバかったと思う。
S部長宅で褌を外し、軽く入浴して泥を落とした。着替えてさっぱりしたところで食事を頂き、酒を飲みながら報告会。同僚のK課長は、幸運にも神男に触れたらしい。山門前で待っていたら、偶然自分の前が開けて目の前に神男が居たそうだ。羨ましい。来年は私も前厄なので、次回も参加できたらと思う。
祭り全体を振り返って、儺追笹を奉納するところでは、見ず知らずの集落の人たちともすぐに打ち解け、ともに盛り上がりながら神事に参加できた。言うまでもなく、共通の行事に参加し、成功させるという共通の目標を持っていたからこそ初対面でも出来たのだと思う。また、集落の人たちにも同じ儺追笹を担ぐのは同じ仲間と見なし、或いは裸男はみな仲間という意識で、気軽に声をかけてくれたのも大きいと思う。こうしたことは大変教訓になった。
また、神男に触れる儺追神事についても、本当に願いをかなえようと思ったら、非常に苦しいことも覚悟して飛び込んでいかなければならないという、人生の教訓めいたものも感じた。しかも飛び込んでいっても必ず触れるわけではなく、運とか流れというものにも左右されるのだ。これで少しは自分にも物事に飛び込んでいく度胸がついただろうか。仕事で家庭で苦しいと感じたら、今日の事を思い返してみたい。