シナモン逝く

今朝、シナモンが巣箱の中で冷たくなっていた。冬眠を疑ったが、部屋は暖かいし、何より目が開いたまま固く冷たくなっていたから、残念ながら死を認める他無い。享年2歳と半年(推定)。
シナモンには本当に可哀想なことをした。R君が飼いたいと言い出したので飼ったのだが、本人の扱いが非常に乱暴な上、一度噛み付かれてからは世話をしなくなり、餌が無くなっても、水が汚くなっていてもほったらかし。見るに見かねた嫁がたまに世話をしたりするものの、大抵は最低限の世話しかされないままほったらかしになっていた。そのくせ、気まぐれにひまわりの種ばかりを多量に与えたりするものだから肥満になってしまい、肥満由来の皮膚病にもかかってしまった。晩年は皮膚病のところが禿げて腫瘍が出来、実に痛々しい姿になっていた。そこで動物病院に連れて行けばよかったのだが、なかなか時間的経済的都合がつかずに結局行かずじまい。他の家に貰われてれば、もう少しマシな扱いを受けたかもしれない。もう少し家族同然の扱いを受けたかもしれない。ひょっとしたら子孫も残せたかもしれない。しかしそれも叶わないまま、叶わないどころか劣悪な条件で飼われて…。シナモンには本当に申し訳ないことをした。
しかし、坊たちの、シナモンの死に対する反応には非常に落胆した。J君は篭の外から息を吹きかけても反応の無い様子に死んだと決め付け、カレンダーを見ながらまるで「ハムスターは何年生きるか?」の実験をしていたかのような言い方で「2年と4〜6ヶ月生きた」と淡々とした反応。手にとって確かめることもしなかった。R君も死んじゃったのを確認してからは知らん振り。鉄道模型で遊ぶのに夢中。なんなんだこの反応は…。嫁は激しく嫌悪感を示し、説教を始めようとしたが、感じ方を押し付けても効果が薄いと思ったので止めた。とにかく埋葬してやろうと言った。その時も、J君は「うん。土に埋めてやれば微生物が分解するもんね」と一言。嫁は絶句。私は険しい顔で「そういう問題じゃないだろう!」と一言たしなめたが、そこから先が続かなかった。何とかJ君に考えさせる問いかけをせねばと思ったからだ。彼は昨年のこの時期に相次いだ曽祖父母の死に何を感じていたのか、少々疑問を禁じえなかった。
埋葬する時も、このまま直接土に入れては寒かろうとティッシュペーパーをベッドのように丸めて形作り、入れてやったのだが、これに対しても「え?なんでティッシュに包むの?」と聞いてきた。傍で聞いていた母が「そのまま入れたら寒くて可哀想だと思わない?」と言ってくれた。日当たりがよく、かつあまり通りからは見えないカリンの木の根本を、猫にほじくられないよう20cmくらいまで掘り、餌と一緒にティッシュで包んだシナモンの亡骸を埋めてやった。墓標には綺麗な黒っぽい石を良く洗ってから刺しておき、周囲にお土産で買った綺麗な石を並べておいた。皆で手を合わせてシナモンの冥福を祈った。
その後、後片付けでシナモンの飼育箱を掃除していたら、巣箱にはびっしりとカビが生えていた。こんな巣箱で寝ていたのか…。胸が痛んだ。教育的効果を考えて、全面的に飼育を坊たちに任せた私らにも責任はある。こんなことならガミガミ言いながらも巣箱を掃除したり洗ったりしてやれば良かった。
夜。J君と風呂に入った時に、今日のことをJ君に投げかけてみた。お父さんとして感じたことを伝えてみた。シナモンの状況がいかに劣悪だったか、動物として本当に幸せなこと、ペットとして飼うことの動物にとっての理不尽さとその上でのペットの幸せの意味、それらを投げかけた上で、「シナモンって何のために産まれてきたんだろうな?」と問いかけて見た。この一言で、それまで他人事にように聞いていたJ君はハッとした顔になり、顔を伏せて肩を震わせた。たぶん、シナモンへの仕打ちを理解してくれたんだと思う。更に、シナモンの境遇をJ君の暮らしに当てはめて問いただしてみたら、一層落ち込んでしまった。J君を責めているつもりでもなく、お父さんお母さんにも責任がある旨伝えたうえで、残されたサナに対しては、後悔することのないようしっかり世話してやるように言ったら、深く頷いた。J君にはちゃんと伝わったと思う。
ただ、そのサナが死んだ後、またハムスターを買いたいと言い出しても無理だろう。よほど私たちを納得させるだけの決意を見せない限りは許せない。