今日の段取りも祖母の時と同じ。ただ、住職の都合で出棺時刻は早まったので、ホテルでモーニングを頂く間も無く6時20分にはホテルを後にした。嫁と坊たちはホテルで待機させた。兄貴と親父は結局昨晩は風呂に入らず、今朝早くに入ったそうだ。せっかく昨晩、私がホテルから離れたコンビニまで買いに行ったウコンの力も飲まずに寝てしまったようで、「吐きそうだ」と顔色を悪くしていた。私のほうは、ウコンの力とサウナが効いて、まったく二日酔いにはなっていなかった。けっこう効くものだね。実家に着くと、もう駐車場もいっぱいで、辛うじて空いてる所に停めてきた。祖母の時と同じ出棺の儀を執り行い、火葬場へ。
火葬場も前回に同じ。ただ、祖母の時と違い小柄なせいか1時間半で火葬が終わるとのこと。二日酔いは無いが、昨晩はあまり眠れなかったので待合室でうつらうつらと寝ながら待っていた。若干1時間半を過ぎた頃、火葬が終わり、遺骨拾いに。
痩せ衰えていた祖父の遺体を見たときは胸が潰れそうな思いをしたが、遺骨を見たら全く逆の感想になった。小柄で160cmもない人だったのだが、その遺骨は骨格標本のようにキレイに残っており、1つ1つの骨も頑丈そうな太いものであった。とても94歳の骨には思えない。祖母の骨なんかはよほど骨粗しょう症が進んでいたのか、カスカスで嵩も随分小さくなっていたものだったが…。あまり太く残っていたので骨壷は前回よりも大きいものが選ばれていたが、それでも入りきらないないので係りの者が箸で突付いて苦労しながら崩していた。さすが、戦争に2回行って帰ってこれた大正生まれは頑丈だ。
その後一行はメモリアルセンターへ。私は嫁と坊たちを迎えにホテルへ。葬儀場で荷物のあれやこれでドタバタしていたら焼香をするのを忘れていた。これをやらないと喪章が渡されないようなのだ。前回、喪章が無かった為に親族として酒をついで回っているときに「あんた誰?」な反応をされてしまったのだ。家族4人揃って焼香し、喪章を無事に入手。というか係りの人に言って強引に貰った。その後昼食をとり、告別式へ。今回は次男坊は前回の騒々しい葬儀で懲りたのか一切参加せず、嫁と一緒に親族控え室に篭った。また、長男坊も前回の告別式での立ったり座ったりお辞儀をしたりがしんどかったのか、3列目以降に座っていた。私は大叔父が疲れて座り込んでしまったので最前列で参列者に対応していた。
告別式でちょっとしたハプニング。慌て者が、大叔父さんが亡くなったと勘違いしてそっちの関係の団体で香典を渡してしまっており、いざ焼香って時に大叔父さんが親族席に立って居るのを見て間違いに気づき大騒ぎ。叔父さんも「通りで見たことない人が何人も来ていたわけだと」苦笑い。間違えた人はどうも勘違いしたまま方々に連絡したらしくて、何度も大声で間違えた間違えたと連呼。まったく非常識な間違いで怒る気にもなれなかった。結局、香典は払い戻されたらしい。でも、まったく関係ないわけでもないので、そのまま出しておいても良かったのではないだろうか?
告別式が終わり、引き続き葬儀に入ってからは、段取りは前回とまったく同じであり、粛々としかし騒々しく式は進んでいった。式後は精進落としで会食。今回は前よりも積極的に酒を注いで回った。ちゃんと喪章をつけていたのと、今回は親父もきちんと出席していたので自分が何者なのかも相手によく理解してもらえて、手ごたえを感じた。明日はどうしても外せない仕事が入っていたので、食事後実家へ移動する親父と叔父たちを見送って、一路名古屋へ。へとへとだったので、晩御飯は精進落としの折り詰め。
祖父への別れは、しっかり出来たと思う。祖父の冥福を祈りつつ、嫁たちを寝かせ、明日の講師の準備に没頭した。