仕事中に、実家へ遊びに帰っていた嫁から連絡あり。私の父方の祖父が今朝9時半ごろ息を引き取ったと、母から連絡があったとのこと。先月の祖母のときと同じで、少し間を置いてから通夜、葬式を行うとのことで月火と休むことになった。上司もそれは一大事とスケジュールの調整をしていただいた。
祖父は享年93、いや94歳か…?先の大戦中は2度も戦地に赴いてきながら生還を果たした人だ。一昨年亡くなった大伯父さんは知る人ぞ知る右傾の人だったらしいのだけれど、日本軍の正当性を説く兄に対し、祖父は「日本軍も最前線じゃひどいことしたもんだよ。そんな奇麗事は最前線には通用しなかったよ」と呟いていたのが印象に残っている。日本に帰ってきてからは、一度上京した後に故郷のN県に帰り、木材問屋の手伝いから仕事を興して、今ではちょっとした工務店にまで発展している。跡を継いだ叔父さんは街の名士になってる。
祖父との思い出は、やはり真っ先に浮かぶのは軽トラだろうか。よく軽トラの後ろに兄貴や従妹と一緒に乗せてもらって、きれいな小川のあるところや、果樹園、その他に連れて行ってもらった。あと、木材加工の作業場。廃材をと余ったキャスターを使って子供が乗れる車を拵えてくれたりした。作業場で遊ぶのは、危ない機械もいろいろあったけど、楽しかった思い出がある。祖父には怒られたことが無い。いつもニコニコしていて静かに笑っている人だった。背も低いが、しかしあらゆる修羅場を潜り抜けてきたその身体は筋骨隆々で、力瘤など、湿らせて巻いた太い紙縒りをちぎってしまうくらいだった。しかしそれを自慢する風でもなく、強く、優しい人だった。親父も祖父のことを非常に尊敬していた。
いつか必ずこういう別れというものは来るのだし、自分もいい加減いい年なので、それを受けて取り乱すほどでもないのだけれど、じわじわとくるこの寂寥感、喪失感は、辛いもんだ。こればかりは時間しか解決してくれないだろうな。晩年はあまり接することも無かった。せめて葬儀の間は最後の奉公をしっかり勤めさせてもらおうと思う。